CINEMA DISCOVERIES

Special Features 映画祭を盛り上げた短編映画集

ショートムービーの楽しみ方〜手軽かつ刺激的な“未知との遭遇”を求めて〜

「人生で初めて観た劇場映画は?」という問いに答えるのは簡単なのに、「じゃあ、初めて観たショートムービーは?」と聞かれると、一転して答えに窮してしまうのはなぜだろう。私も先ほどから胸に手を当てて記憶を巡らせてはいるものの、なかなか初めての瞬間が思い出せずにいる。 でも、だいぶ物心がついてから「あ、これもいわゆる、ショートムービーのひとつなんだな」と得心した時のことは鮮明に覚えている。気づかせてくれたのは、タモリさんがストーリーテラーを務めるおなじみのドラマ「世にも奇妙な物語」。厳密にはショートムービーというよりは「オムニバスドラマ」と表現するのが正しいのかもしれないが、小学生の頃の私には、幾つものエピソードが並立するその番組構造よりも、一本一本のガツンとくるほどの強度の方がはるかに衝撃的だった。
そこに描かれる世界観やストーリーは極めて突飛なものでありながら、短い尺ゆえ余計な説明は要らず、単刀直入にそれらを提示することができる。見る側にしてみれば、あっという間に独特の世界観へと誘われる楽しさがあるし、よくできた作品ならば、もはや時間の観念などすっ飛ばして、まるで2時間の長編映画を見たような途方もない感慨をもたらしてくれることだってある。
もちろん私は、その後、ショートムービーというものが「世にも奇妙」のような不思議系にとどまらず、もっともっと無限の可能性に開かれていることを知るわけだが、それでもやっぱり変わらず、あらゆる作品に「唯一無二の世界の入り口」や「才能の針が振り切れる瞬間」を求めている自分がいる。
素晴らしい作品には他者に真似できない世界観があり、時間の紡ぎ方があり、一度見ると忘れられなくなる感性の発露がある。逆に言うと、ごく短時間であっと唸らせる独創的な世界と遭遇したければ、ショートムービーを見ればいい、とさえ思えるほどだ。
ただ単純に娯楽性を求めてそこに飛び込むのもいいだろう。もしくは才能の見本市のようなものと捉え、運命が結びつけてくれた一本一本の作品の狙いや意図、それがどのくらい達成されているのか、または作り手が持つ潜在的な可能性に至るまで、じっくり吟味する味わい方もありかもしれない。

作り手側にとってのショートムービーとは?

一方、作り手側からすれば、ショートムービーは昔も今も変わらずある種の通過儀礼。どんなに才能に溢れた人でもいきなり長編を撮るケースは稀で、おおよそのところ短編づくりから全てのキャリアが始まると言っていい。 そこでは自分の思い描くビジョンを単刀直入にぶちかますことも可能だし、長編に比べると失敗を恐れずに思い切り試行錯誤できるというメリットもある。さらに、表現者として何よりも大切な「物語を完結させる」という経験を重ねることだってできる。
こうして一本撮れば、国内外の映画祭や自主上映会を通じて自分の才能を世に問うことも可能となり、多くの観客に知ってもらえたり、そこで得た人的つながりがコラボレーションのきっかけを生む場合も多い。
昔から、ショートムービーがきっかけで後の劇場長編映画の花が咲いたという逸話は山ほど聞く。それに加えて、今やクラウドファンディングやSNSが大きな意味を持つ時代。作り手にとってショートムービーの存在が将来的な成功の胚芽となることは確実である。
今回配信される5本も、それぞれが研ぎ澄まされた語り口と感性を持った秀作揃い。私もつい今しがた全作品を見終えたばかりで、ちょっとした一人映画祭が閉幕したような、達成感と寂寥感が相まった気分でここにいる。
『帰ろうYO!』は、ヒップホップと人生の第2ステージへ挑む心境とがコミカルに融合した快作で、『漂流ポスト』には透明感あふれる映像の中に親友をめぐる“記憶と時間の探求”が祈りのような筆致でほとばしる。大自然の映像に圧倒されっぱなしの『遠い光』は、純文学と呼びたくなるほどの寡黙な男の慟哭のドラマが胸をざわつかせ、『海へ行くつもりじゃなかった』はちょっと歩いたり立ち止まったりしながら、心と身体が優しく同期していく様が深呼吸のように心地よい。さらに大胆なデザインと音楽的構造をかけ合わせた『落書き色町』には誰にも真似できない恐れ知らずの破天荒さがある————。
ぜひあなたも意を決して、未知なる世界との遭遇を果たしてみてほしい。きっと長編映画にはない溜息のこぼれるほど濃縮された味わいと、それぞれの映像作家たちが持つ言い様のない可能性をじっくり堪能できるはずだ。
文:牛津厚信

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