CINEMA DISCOVERIES

Profile

内藤瑛亮

1982年生まれ、愛知県出身。
映画美学校フィクションコース11期修了。特別支援学校(旧養護学校)に教員として勤務しながら、自主映画を制作する。短篇『牛乳王子』が学生残酷映画祭・スラムダンス映画祭はじめ国内外の映画祭に招待される。初長編『先生を流産させる会』がカナザワ映画祭で話題となり、2012年に全国劇場公開され、論争を巻き起こす。教員を退職後は、夏帆主演『パズル』や野村周平主演『ライチ☆光クラブ』、山田杏奈主演『ミスミソウ』など罪を犯した少年少女をテーマにした作品を多く手掛ける。2020年、約8年振りとなる自主映画『許された子どもたち』が6月1日(月)よりユーロスペース他にてロードショー。

Information

▼Twitter

https://twitter.com/EisukeNaito

▼最新作『許された子どもたち』HP:

http://www.yurusaretakodomotachi.com/#top

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監督の魅力に迫るQ&A

Q. 映画制作をはじめたきっかけは?

漫画家になりたかったんですけど、うまくいかなくて、映画の方が向いているのかもって思ったんです。映画はむかしから好きで、漫画を描くときも、発想の元が映画だったんで。
20代中盤だったんで、趣味として映画作りが出来ればいいだろうと思って、就職して、映画美学校に通いながら、休日に映画づくりをしました。

Q.影響を受けた作品、監督は?

魅力的な悪役が描かれている作品が好きです。『ちいさな惡の華』『バットマン リターンズ』『羊たちの沈黙』『CURE』『エスター』。

Q.仲の良い監督は?

あまりいないです。
『へんげ』の大畑創監督とは、たまに飲みます。

Q.一緒に仕事をしたい役者は?

小池栄子さんです。
『接吻』や『八日目の蝉』の芝居が強烈で、素晴らしい俳優だと思っています。

Q.注目している監督は?

『トゥルー・ディテクティブ』シーズン1のキャリー・ジョージ・フクナガ監督、『チェルノブイリ』のヨハン・レンク監督、『ユーフォリア』のサム・レヴィンソン監督です。

Q.関心のあるテーマは?

『先生を流産させる会』の公開時に、監督はミソジニストと批判を受けました。それからミソジニーに関する本を読んで、勉強しています。
内面化してしまった女性に対する歪んだ認知って、自分だけでなく、多くの男性が抱える問題だなと感じていて、いつかミソジニーを題材に作品を作りたいと思っています。

Q.映画制作の過程で、チャレンジングと感じることは?

自分の立場を明確にしないといけないと思ってます。
自分自身に対してちゃんと向き合うことが大切で、でも難しいことだと感じています。

Q.監督業の面白さは?

キャストやスタッフの協力によって、想像を超えたものが撮れたときです。

Q.映画づくりでこだわっていることは?

ヘルツォーク版『バッド・ルーテナント』のスタッフTシャツに、「映画を撮っている時は子どものように」と書かれているんですが、そういう遊び心は持って言いたいです。

Q.映画づくりで成し遂げたいことは?

未だに古い思想の人がいて、パワハラ・セクハラがあるんで、健全な労働環境にしていきたいと思っています。

Q.死ぬ前に映画を一本見るとしたら、何を選びますか?

『マッドマックス 怒りのデスロード』です。

Q.映画を見る時に、何を参考にして決めますか? 予告編? レビュー? 知人からの口コミ? SNSの口コミ?

映画学校の同期から勧められたら、興味がなかった作品でも観に行きます。

Q.映画を見る時に、何を期待しますか?

想像をしなかったことが起きて欲しいです。

Q.映画の中のキャラクターとして生きるとしたら、どの映画の誰がいいですか?

『ファイト・クラブ』のエドワード・ノートン。

Q.1年に一度だったり、数年に一度など定期的に必ず見る映画は?

『ガタカ』『50回目のファーストキス』『マグノリア』『ファイト・クラブ』『デス・プルーフ』は少なくとも1年に一回は観直しています。

Q.趣味は?

ダムカード集め。

Q.愛読書は?

今村夏子さん、辻村深月さん、村田沙耶香さんの著作をよく読みます。

Q.邦洋問わず、お気に入りのスターは?

ビリー・アイリッシュ。

 

Interview

インタビュー・テキスト:ヒナタカ

悲劇を題材として、逆説的に肯定したいことを訴えるというのが好き

教員としての経験がここに生きている

——内藤監督は養護学校(今は特別支援学校)の教員として過去に働いていたとのことすが、監督業として特に『先生を流産させる会』で、その時の経験が反映されているということはありますか。

子どもとの接し方や指示の与え方に、教員の時の経験が生きていると思いますね。自分としてはそれほど意識していないのですが、スタッフやプロデューサーからも「なんか、先生だった」って言われたこともあるんです。指示をする時に曖昧な言い方だと伝わらないし、しっかり自分に注目を集めてから短く的確に言わないといけないし、彼らが受け入れられやすい言葉を選ばないといけない、などと演出する時に常に考えていますね。

——作品そのものにも、養護学校の教員としての経験が反映されているのかな、と感じることもあります。子どもの悪意というものが特にリアルに描かれていますから。

それもあると思いますね。悪意は誰にでもあるもので、人を傷つけてしまうことも誰しもがあることです。また、人を傷つけてしまう、悪いことをする時の、高揚感と言うか、楽しさみたいなものも正直あるよなっていうことを、子どもたちを観ていたら感じていたりもしました。それはいじめであっても、やっている側にとっては楽しく、高揚感があるからこそ内容もエスカレートしていってしまうと思うんです。
そういう時に「悪いことだから悪い」と言ったところで、問題解決には繋がりません。そこで感じてしまう喜びが間違っているんだと教えること、それをどう伝えたらいいかと考えていかなければなりません。

——表面的なことではありますが、スプラッター要素や、ゲロを吐く人物がいるなど、画としての内藤監督の作家性も一貫されていると思います。それについてもこだわりなどはあるのでしょうか。

ゲロは多いですね(笑)。視覚的な描写として、人間が追い詰められた時のものとして、ゲロはすごくいいと思います。『ミスミソウ』でのゲロは原作にもあったりしたんですけどね。生理的なものとして描きたがるところはありますね。

——嫌悪感をストレートに打ち出す方法として入れているということで、ただ露悪的に入れているだけではないですよね。

自自分自身はゲロを見たいわけではないし、残酷描写についても楽しんで描いていると言うわけではなく、痛い描写は痛いと感じる、生理的な嫌悪感を覚えることは必要だと思っているんです。観た人が「ワッ」と思う瞬間というのは記憶に残る、そういう引っかかりがないと、作品として小さいものになってしまうと思うんですよね。

自主製作映画だからこそ生み出せた魅力

——実際に『先生を流産させる会』や最新作『許された子どもたち』を作り終えられて、“自主製作映画だからできた”というところはありますか。

たくさんの映画が作られる中、正直「企画の時点で間違っていないか?」と感じることがたまにあるんです。観客の皆さんも、「そもそもおかしくない?」と思われることはおそらくありますよね。リスクを恐れてただ有名な原作を選んだり、原作から設定を変えてでも有名なキャストを使うことを優先したりなど、そういったことばかりが起きていくと、だんだん保守的な作品になってしまうと思うんです。そうすると、映画の多様性が失われてしまいます。もちろん「ガッツリ儲けるぞ!」な作品があってもいいのですが、それだけでは映画文化として豊かなものにならないんです。僕は、僕が好きだった豊かな映画を、日本映画として作りたいんです。
『許された子どもたち』は8年前からずっと商業映画として作りたい、成立させたいと思って交渉を続けてきた作品でした。しかし実際はなかなか難しくて、興味を持ってくれる方がいても、例えばアイドルを主演にしてはどうかとか、もっとエンタメに話を振って欲しいなどと要求もされました。そうすると、自分が描きたいテーマや語りたい形とズレていってしまったんです。とは言え商売なので、僕もある程度のバランスは取ろうとはするのですが、それでも譲れないところもある。そのためというべきか結局は商業映画としては成立しなくて、止むに止まれずに自主製作に、という感じですね。
当然、自主製作だからこそのリスクもありますし、キャストやスタッフにも無理を強いてしまいます。それでも、どうしても、撮りたいなと思って『許された子どもたち』を製作しました。そういうスタンスで作らないといけないものもある、と今では思っています。

——それが自主製作ならではの魅力にもつながりますよね。例えば、スター俳優ではない、劇中の役と同年齢の子どもが演じたからこそ、生み出せたものもあります。

もちろん、スターが出演しているからこそ面白い映画もありますが、なんでもかんでも有名俳優でいいというわけではないですよね。誰もが知っているスターでなくとも素晴らしい俳優さんはたくさんいますし、演技経験がないような素人の中にも面白い被写体というのはあって、本来は作品ごとにどういうスタイルが望ましいのかと考えて作るべきなんだろうなと考えています。短絡的にリスクを避けようとしたら、「とりあえずアイドルを出そう」とか「とりあえずデスゲームものにしよう」とか、そういう考えになってしまったりもしますから  『先生を流産させる会』も、主演の女の子は演技経験もないし、演技そのものにも特に興味がなかったりしたんですよ。その後、俳優業に進んだわけでもなく普通に進学して、今はもう大学生です。役者をやりたいわけじゃないんだけど、フラッと出演したという……それもまた面白いですよね。海外でも、例えば『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』のお母さん役もインスタグラムで見つけた方でしたよね。でも、あの人でしか出せない良さが絶対にありましたし、あの作品には必要な存在だったと思います。
自主製作映画では、そうした発見をしていくことの面白さなり大切さがあって、観客もそれを楽しみにしているだろうなと思っていますね。

悲劇を描くことで肯定できるものがある

——内藤瑛亮監督は後戻りできない悲劇を描くことで、逆説的に“肯定したいこと”を浮き彫りにするという作家性が強いと感じています。それについて、作家としての矜持や想いのようなものがあれば教えてください。

観客としても、悲劇を題材として、逆説的に肯定したいことを訴えるというのが好きなのです。映画美学校で学んでいるときに、井土紀州監督からも「物語は逆説的であるべきだ」と教わりました。そういうことで見えてくるものがあると自分でも思っていますし、題材としてもそういう話が多いですね。

——描きたいものがあるからこそ、作品が必然的に悲劇性の強いものになっているということですか。

順番としては、まず題材があり、そこから惹かれるものを追求していき、それから脚本を作りながらテーマを探っていくという感じです。その惹かれるものに、少年少女が罪を犯すというのが比較的多いんです。作品のテーマはモチーフの後に見えてくるという流れですね。

——その悲劇性に追従して、“闇を抱えている”キャラクターが物語の中心にいることも多いと思います。そうした人物を描く理由を、今一度教えてください。

悲しい事件が起きた時の背景を探っていくと、人間の本質的な難しさ、社会が抱えている病理みたいなものに繋がってきます。だからこそ必然的に闇を抱えた人物を描いているのかもしれませんね。

——『先生を流産させる会』をはじめとする監督作を振り返って、改めてご自身がどういうことを、映画作品を通して伝えていきたいかなど、目標がありましたら教えてください。

僕は特別支援学校、昔で言う養護学校で働いていて、障害を抱えた子どもたちを指導してきました。すごく発見の多い日々で、発達障害や知的障害について実際に接してみないと分からないことがたくさんあったんです。それを作品として表現してみたいんですよね。  特に、障害者の方の生活の難しさみたいなものは、本当に接してみないとなかなか分からないところがあると思うんです。例えば、自閉症の方はイレギュラーなことが苦手で、普段と違う状況が受け入れがたくて、時間割が変わっただけでパニックになる子もいて、時には引っ掻いちゃうという子もいるんですね。障害では仕方がないかなと思うところがあるんですけど、僕が読んだ東北大震災の避難所にいた自閉症の子に関する記事だと、避難所でパニックになっていた自閉症の子が批判されたそうなんですよ。「家族のしつけがなってない」とか「なんだあいつは」と怒られてしまったと。それは、やっぱり“知らない”からこそ、そういう反応になってしまったんだと思ったんです。実際、生活の中で自閉症の方と触れ合うことって、こういう仕事をしていないと少ないですよね。ドラマや映画では積極的には描こうとしないのも、それが理由の1つなのだと思います。

——センシティブでもあり、扱いが難しいという事情もありますよね。

実際センシティブですし、誤解を与えてもいけないですよね。『メリーに首ったけ』のファレリー兄弟監督は積極的に障害を持つ方を出演させたりしていますけど、世の中の創作物の多くでは「とりあえず触れないでおこう」というようなスタンスになっちゃっていると思うんです。でも街を歩いていたら、障害を抱えている人、ハンディキャップをある人は普通にすれ違いますよね。だから、ちゃんと僕も描いていきたいです。

——内藤監督の作品で、今までは明確に障害を抱えた方は登場していませんでしたね。その内藤監督が障害をどう描くかについても、とても期待しています。

内藤瑛亮監督の作品