CINEMA DISCOVERIES

AIによる殺意の主張は、感情の証明になり得るか

文:ヒナタカ

 AI(人工知能)が殺人や犯罪を犯す、または人間に反抗する様を描いたSF映画は『2001年宇宙の旅』(1968)、『ターミネーター』(1985)、『アイ,ロボット』(2004年)など数多い。この『センターライン』は「AIの殺意は立証できるのか?」という論点を前面に押し出しながらも、定番化したSF的設定にフレッシュかつユニークな魅力をもたらしている快作だ。

まず賞賛するべきは、エンターテインメントとしてしっかり面白いということだろう。証言から論理的に謎を解明する過程には“推理もの”、弁護士と検察官がお互いの主張を通すために火花を散らす様には“法廷もの”、新人の検察官と慇懃無礼な態度を取るAIの掛け合いは“バディもの”などと、わかりやすく親しみやすいジャンルの要素が揃っている。67分という短い上映時間ながら、最初から最後まで観客を楽しませようとする作り手のサービス精神が存分に伝わる内容になっているのだ。

そして、往々にしてSFは全てが絵空事ではない、現実の延長線上にあり得る未来を描いていることがほとんどだが、この『センターライン』も例外ではない。何しろ、舞台は「自動運転AIが実用化されるも、人工知能が感情を持つほどには発達していない(と思われている)近未来」だ。言うまでもなく自動運転AIは2020年の現在の世界でも実用化に向けてのプロジェクトが進んでいるが、その安全性の是非、人間の仕事を奪うのではないか、などの観点などから議論の的にもなっている。劇中で描かれるロボット破壊事件の頻発、AI事業に反対する民衆のデモ、主人公がサービス過剰な自動運転AIに文句を言う様は、十分にリアルなものなのだ。

そして、「AIの殺意は立証できるのか?」という物語は、「感情の定義とは?」「愛情とは何か?」という疑問にも転換していく。愛情と殺意は相反するものと思われるかもしれないが、決してそんなことはない。マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではなく無関心である」という言葉にもあるように、愛情と殺意(憎悪)はむしろ表裏一体の感情とも語られることがあるのだから。突き詰めれば、感情とは論理的ではない概念であり、矛盾をはらんでいるとも言える。だからこそ、この物語でAIが殺意を主張するということに意味がある。

  なぜなら、AIはプログラムという論理的に構築された存在そのものであり、客観的に考えれば、その行動や言動に矛盾など起こるはずがないのだから。では、もしもAIが論理的でない、矛盾した行動や言動、それこそ殺意の主張をするとしたら? それはイコール感情があるということ、もはや人間なのではないだろうか? 観客は劇中の登場人物たちと同じように、そうした哲学的な思考にふけることができるのだ。その思考の果てにある“答え”を、ぜひ見届けてほしい。

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