昭和の香りが立ち込める、アルカイックな男の「生活」

文:折田侑駿

 夢や目標、希望といったものはあるものの、どうにも自分を律することができず、周囲には迷惑をかけてばかり。このような人物が登場する物語はあちこちにあるし、フィクションの世界にかぎらず、私たち自身の周りにだって、これまたやはりあちこちに存在する。ひょっとすると、いまこれを読んでいるあなた自身がそうかもしれないし、とうの筆者にもこういった面があることは自覚している。

薄暗くしみったれた畳部屋に、ちゃぶ台、雑多に置かれた空き缶や灰皿、劇中で3度にわたって響く、町あかりによる主題歌「ぽんぽん」。昭和歌謡を思わせる同曲は印象深く、2013年に製作された作品でありながら、どうにも「昭和」というものを感じずにはいられない。しかし昭和とはいえ、もちろん華々しさとは無縁のものだ。高度経済成長やバブルだのの影に隠れて生きる男の物語である。とうぜんこれは、例え話だ。それほどまでにこの主人公の男はさもしく、孤独なのである。倦怠、延滞、進退窮まり、安泰なんてものはほど遠く、無問題なんてありえない。歓待されることなどそう容易くはなく、あったとしても、それは真実味を欠いた儚いつかの間の情事だけである。

主人公の本業は演劇の脚本家だ。とはいえ、それだけで生活を成り立たせられているわけではない。ポスティングのアルバイトはもはやアルバイトとして成立しておらず、恋人とはヒモ同然の間柄。そもそも劇中で彼が執筆するシーンなど、ごくわずかしか登場しない。つまり本作では、彼が脚本家として悪戦苦闘を強いられている姿が中心なのではなく、脚本家としての大志を抱く男の「生活」が核に描かれているのだ。だからこそ、彼の姿は極端化され、私たちの目には典型的な“ダメ男”として映る。さらには禁欲的なまでに劇伴は用いられず、私たちが耳にするのは「ぽんぽん」と、男が歩く、食べる、眠る、といったときに発する生活の音である。

中村祐太郎監督は、自らがカメラを回し、この男に向けている。このスタイルは本作にかぎったことではないが、ここではやはり、この男が監督自身の自己投影だと捉えてもいいのだろう。しかしこうして、この『ぽんぽん』という作品は世に出ている。そしてその後も中村監督は次々と作品を発表し続けている。

 映画が終われば、私たち観客と“男”との関係も終わってしまうが、彼はやがていつか立ち上がる──自己の一面をこの男の中に見た私たちはそう信じて、自らの「生活」に帰っていこうと思えるのだ。

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