「やさしいにっぽん人」、または「平成」のポートレート

文:萩野亮

 2014年10月、8年に及んだ泉南のアスベスト国賠訴訟は、原告団のねばり強い裁判闘争において、ついに勝利を得た。そのおよそすべてのプロセスを記録したこの労作は、しかしその「勝利」を手放しでよろこび、寿ぐような結末部分を持っているわけではない。

画面のなかでついに一度も相好を崩すことのない「泉南アスベストの会」代表の柚岡一禎は、「生煮えの感」という率直な感想をカメラに洩らす。この作品は、むしろその言葉こそを、215分におよぶ映画の結語としている。これはいったい、どういうことか。
 監督の原一男にとって、本作は『全身小説家』(94)以来の長篇ドキュメンタリー映画となる。じつに24年もの、永い沈黙がそこには横たわっている。劇映画『またの日の知華』(04)をはさんではいるが、この事実はむしろ、ドキュメンタリスト・原一男の懊悩こそを物語っている。

原一男は、自身が「ヒーローシリーズ」と呼んでいる通り、昭和の時代に存在しえた強烈な個人をカメラの対象とすることでドキュメンタリーを編んできた映画作家である。『さようならCP』(72)の横田弘や横塚晃一、『ゆきゆきて、神軍』(87)の奥崎健三、そして『全身小説家』の井上光晴。これらの確固たる〈個〉にカメラを向け、挑発することで映画の「主人公」に仕立て上げてゆくことこそが、原一男が提唱する「アクション・ドキュメンタリー」の実践に他ならなかった。

『全身小説家』の井上光晴は、昭和の最後の年である1989年に癌宣告を受ける。そして映画作家がその晩年の記録を終えたときには、日本は「平成」と呼ばれる時代に移行していた。バブルは弾け、終わりなき不況とともに高度消費社会さえもが停滞を迎える。そのなかで原一男は、みずからのドキュメンタリーの対象たりうる〈個〉がもはや存在しないことに、気がつかざるをえなかった。

そうしてふいに撮り始めたのが、泉南アスベスト訴訟の原告たちだった。そのなかで原は、あきらかに先述の柚岡一禎を「主人公」に仕立て上げようとしている。そして彼を通して、原告団の元労働者たちをしきりに「挑発」する。
 怒れ、もっと怒れ。お前たちはニッポンの捨て石にされたんだ。それでいいのか? 国に、怒りのかぎりをぶつけるんだ。

しかし事態は、あくまでもなごやかに収束してゆく。裁判闘争を終えたあとの市民の集いを記録したシーンは象徴的である。誰も積極的に発言しようとしない、白々とした時間が流れる。日本の経済発展の裏面において、自身やその家族が「棄民」とされてきた歴史に対して、悲しみと苦しみはあっても、もはや怒りはない。最高裁まで逃げつづけた日本政府に対して、疲弊とあきらめはあっても、やはり怒りはない。

 「やさしいにっぽん人」が、そこにいるばかりなのである。そして、作者がこの映画で結果的に描こうとしたのは、まさしくこの「やさしいにっぽん人」に象徴される「平成」という時代ののっぺりした相貌に他ならなかった。原一男は、自身の「アクション・ドキュメンタリー」が成立しえないという事実をはっきりと認識することにおいて、逆説的に本作をまとめあげた。『ニッポン国VS泉南石綿村』の215分は、「歴史」がもはや断絶した「平成」という時代のポートレートを静かに差し出している。