『ぽんぽん』中村祐太郎監督インタビュー

インタビュー・テキスト:折田侑駿

Interview

「男女の退廃した生活を描いた作品を作りたい」という思いから企画が始まった

──僕も中村監督と同じ1990年生まれで、『ぽんぽん』が公開された2013年は上京してきた年でした。この作品を観ていると、思い通りにいかない日常に歯がゆさを感じていた日々を思い出しました。本作はどういったところから企画が始まったのでしょうか?

90年生まれではあるのですが、大学には遅れて入ったので、この作品を制作したのは大学2年生のときです。青山真治監督のゼミがあって、そこで企画が通り、制作が実現した1本目の作品です。そのゼミで、各々が短編作品を作ることができるということになって、その後もタッグを組んでいくことになる脚本家・木村暉くんと一緒にやろうということになりました。当時は2人で演劇をよく観に行っていて、そんな中、ポツドールの『夢の城』という作品を観たんです。そこから、「ああいった男女の退廃した生活を描いた作品を作りたいね」という話になり、脚本執筆に取り掛かりました。

──言い出したのはどちらから?

声をかけたのは僕からですね。2年生になるときに、演劇に進むか映画に進むか、コースが分かれるんです。ちょうどそのタイミングで青山監督が入ってこられて、劇映画を教えてくださると知ったときに、すごく魅力を感じました。木村くんはどっちのコースに進むか悩んでいたので、「映画の方に行こうよ」と誘いました。

脚本家・木村暉という存在

──脚本家の木村さんは、その後の中村作品でも非常に重要なポジションを担っていますね。

商業作品の『女流闘牌伝 aki -アキ-』(2017)以外は一緒にやっています。今のところの最新作である『若さと馬鹿さ』(2019)もそうです。でも、信頼のおける相手ではありますが、タイプは違うと思います。木村くんは“共感性”の塊みたいなところがあって。趣味嗜好でいうと、彼の場合はかなりポピュラーなものが好きなんです。木村くんのそんなところがあるからこそ、特に学生時代は、より“作品的なもの”を作ることができたなと思っています。

──それは、“作品を広く伝える”という意味においてですか?

そうです。大学時代の僕が“気持ち”だけで作品を作っていたのに対して、彼は言語化するのが上手いんです。そして最近は、かつてのようにいつも一緒にいるというわけではなく、彼は彼で別のチームで映画制作に携わっていたりもしています。そこから僕も僕で、自分に足りないものを勉強するようになり始めたりしました。

──少し離れたりすることによって、いい意味で変わるものもあると?

それぞれが吸収してきたものを、作品というかたちで昇華させることができますよね。あとはやっぱり、お互いに尊重し合える関係になっていくのではないかと。“距離感”が難しいですね。“作る”ということにおいては、お互い同じなので。映画って“距離感の作業”だと、すごく感じています。

──木村さんは俳優としても出演されていますね。何か狙いや意図がありますか?

僕自身もたまに声をかけていただいて映画に出演するのですが、僕も彼も身体性が面白いというか。“画”として、観ていられるんですよね。そして僕自身は木村くんに対して引き算の演出をするので、彼の良いところが作品に反映されていると思っています。

なぜ、監督自身がカメラを回すのか?

──本作は2012年に制作されたということですが、なぜこのようなアルカイックなタッチで描こうとしたのですか?

脚本の時点で画を思い浮かべたときに、ああいう“時代感”のイメージに絞られたというのがありますね。昭和の建築物をそのまま活かした部屋を舞台にしているので、どこか昭和っぽく見えますよね。あえて昭和的な風合いを意識しているわけではないです。思い浮かんだ画から余計なものを削ぎ落としていく作業になったときに、ああいうかたちに映ったのかなと思います。

──現実的にしっくりくるところを狙ったと。

「そうですね。例えば、ワンルームの今っぽいアパートで若者たちがああいう生活をしている様子を描いても、なかなか伝わらないと思うんです。俳優に関しても、画としてしっくりくるような顔で選びました。とにかく脚本とマッチするところを目指した結果、あのようになったという感じかもしれないですね。

──何か参考にされた映画などはありますか?

参考にしたというわけではありませんが、伊丹十三監督の『たんぽぽ』(1985)などの影響は受けていると思います。僕が幼い頃に、よく父親がテレビで映画を観ていたんです。その中で、『たんぽぽ』を観て衝撃を受けて。あの頃は今よりも規制が厳しくなく、性描写も放送していて、ある種のトラウマ的なものにもなっています。女性のセクシャル的な部分を目の当たりにしたのも初めてで、本当に衝撃でした。あともう一つは、野口英世の伝記映画である『遠き落日』(1992)ですね。人生における“危機感”のようなものを教えてくれる映画です。この作品の、古いしみったれた感じや、『たんぽぽ』の衝撃的な描写が脳裏にこびりついていて、これらが僕にとっての映画とイコールの関係で結びついています。恐らく、それが『ぽんぽん』には反映されているのだと思いますね。

──なるほど。昭和歌謡的なムード漂う、町あかりさんの歌声もいいですよね。

すごくいいんですよ。今の彼女はちょっとまた系統の異なる歌を歌っていますけど。町さんは高校の同級生なんです。彼女自身ももともとすごく昭和歌謡が大好きで、知識も深いです。

──名古屋のミニシアター・シネマスコーレの副支配人である坪井篤史さんが中村監督のことを、「自らカメラを回す作家的な監督」と語っています。本作だけではないですが、なぜ自身でカメラを回そうと思ったのですか?

もともとカメラがすごく好きだったということもあるのですが、画に強いこだわりを持っています。そんな中、『ぽんぽん』は1本目だったので、撮影は本当に信頼できる人にお願いしたかったんです。ところがまだ2年生ということもあって、そういった関係性を築けていなかった。「誰が良い画を撮れるのだろう?」という疑問もありましたし、現場を一番アツく先導する人物に画を決めてもらいたいという思いもありました。そうなってくると、「だったら自分しかいないな」と。

──『太陽を掴め』(2016)はカメラマンの方がいますね。

はい。ほかの方が自分の作品でカメラを回すとどうなるのか、それを見てみたかったという思いがありました。

──『ぽんぽん』の制作から8年が経ちましたが、それからかなりの数の作品を手がけられている印象です。

今現在、仕上げに取りかかっている作品もあって、それが11本目とかになるんですよ。“作ること”が好きですね。あれから8年と考えると、11本というのはかなりの本数を撮っているなと思います。

──しかも短編ではないですよね。

そうです。一番新しい作品も。昨年公開された『若さと馬鹿さ』もそうですが、制作体制しだいで、やろうと思えばなんでもできると思っています。ミニマルな形態で、今後も思い立ったときに、自主制作というかたちで作品づくりを続けていくんじゃないかと思います。

──それが、8年の時を経ての心境の変化でもあると?

8年という時間、11本という数を重ねてきて思うのは、映画制作の場において、広い視野を持てるようになったということですね。

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