CINEMA DISCOVERIES

『先生を流産させる会』内藤監督インタビュー

インタビュー・テキスト:ヒナタカ

Interview

作品がミソジニーであるという批判を受けて

——『先生を流産させる会』は大変な反響があり、否定的な意見も多いとは聞いています。ミソジニストであるとも批判を受けたのとのですが、それについて思うところはありますか。

批判されたことで自分自身、感じたところはたくさんあります。批判の中でも特に大きかったのは、実際の事件では犯人が男子生徒であったのを、女子生徒に変えたということでした。実際の事件にある問題を無視していることと、男の罪を女の罪に押し付けているという意味で、ミソジニストである批判を受けたんです。正直に言って、当時の僕はミソジニーという言葉自体を知りませんでしたし、とても驚いたんです。「こういう事件を映画化するなんて」という批判は受けるかなと予想していたのですが、性別を変えたことが批判の対象になるということは想像もしていなかったのです。それは自分が欠けていた視点であったと思い知らされました。
それから僕はミソジニーについての本を調べ、勉強をしました。この社会にはそうした問題が確かにあるし、自分自身も男として、その問題を考えていかないといけないと感じています。批判があったおかげで、視点が増え、ミソジニーの問題をしっかり見つめることができました。

——私はこの『先生を流産させる会』は決してミソジニーを助長する内容ではない、女性の気持ちに真摯に寄り添っている、むしろフェミニズムに満ちているとは思います。また、「先生を流産させる会」という言葉のおぞましさを伝えるという目的においては、男性であればただ嫌いな先生がいるから流産をさせようとするという短絡的な動機につながりやすい、女性であるからこそ、それが鮮烈に浮かびあがると感じました。

そもそも、事件をそのままドキュメンタリー的に暴いていくスタイルではなく、「先生を流産させる会」という“言葉についてのフィクション”を築いていったという想いが強いんです。もちろん事実とは異なるのですが、おっしゃったように「流産をさせる会」という言葉が持つ禍々しさ、おぞましさみたいなものを追求していくという時に、犯人を女子生徒にして描くことで、それがより伝わると考えていたのです。『小さな悪の華』や『悪い種子』など、自分が少女が犯罪を犯すような映画がそもそも好きだったというのも、性別を変更した理由としてあると思いました。とはいえ、その結果としてミソジニーであるという批判もいただいたわけですし、それを全面的に否定することなく、受け入れていたいという気持ちもあります。

——『先生を流産させる会』に頂いた肯定的な意見で、感銘を受けた、作家として勇気付けられたというものがありましたら教えてください。

書評家の豊崎由美さんや女優の杉野希妃さんなどの女性に「この感じ、わかる」って言っていただけたのは嬉しかったですね。後に『パズル』で一緒に仕事をする夏帆さんにも「懐かしい感じがした」とおっしゃっていただきました。  また、伝え聞きであるので本当かどうかはわからないところがあるのですが、愛知の名古屋シネマスコーレで上映した時に、坪井篤史さんという副支配人の方が、この事件の犯人である男の子が観にきていたと言っていたそうなんですよ。観た後に坪井さんに話しかけてきて、「自分たちがやったことが客観的に見られた」「すごく怖いことをしたんだなとわかりました、と監督に伝えてください」とメッセージを残したらしくて。そういう形で、受け止めてくれたということも、良かったのかなとは思います。

——それは、なんと言ったらいいのか……実際の加害者の心を動かすものがあったということも、本作の意義かもしれませんね。この『先生を流産させる会』に限らず、内藤監督の作品はその“加害者の視点”を重視されていると思います。そこについての矜持や想いみたいなものはありますか。

当然、被害者のほうが感情移入はしやすいとは思うんです。でも、誰しもが加害者になる可能性があるだろというのもあるし、特に先生に対する嫌がらせというのは大なり小なりみんな関わったことがあるんじゃないかなと思っています。
例えば、先生に対するひどい嫌がらせをニュースで見たときに、当然「先生かわいそう」「今時の子どもはやべぇな」というふうに思うと思うんですけど、その人も実は加害者側にいた経験だってあると思うんですよね。でも人は被害者であることは比較的容易に受け入れられるんですけど、自分が加害者であるということは非常に受け入れづらいんです。指摘されたとしても「それって誤解じゃないか」とか、勘違いしているはずだって、自分を守ってしまうと思うんですよね。
僕自身もそういう心理はあるなと思っていて。だからこそ、フィクションという形で、加害者側の視点に持っていくと、そこから見える景色がある、それで自分をやっと省みることができると思うんですよね。先ほどの肯定的な意見である「この感じ、わかる」は、目指していたところというか、自分の想いが伝わったなとは思っています。

“そんなに言わない”演技指導と面白撮影エピソード

——内藤監督の作品はいつも若手役者の、時には演技未経験でもある方々の演技が素晴らしいです。『先生を流産させる会』ではどのような演技指導をされているのでしょうか。

『先生を流産させる会』もみんな素人の子ども達ばかりで、まずは10代の中学生のほぼ同年代の子どもが演じるまがまがしさのようなものが出せるだろうなと思っていて、それがいわゆる商業映画との差別化にもなると考えていました。
商業的な要請から知名度のある俳優をキャスティングしようとしても、中学生の年齢ではそこまでネームバリューのある人はいないため、どうしても10代後半かあるいは20歳過ぎの人になってしまうことが多いです。でも、そうすると失われてしまうものがあります。その人そのものの存在としての良さを出すためにも、やはり同年代で、素人でも構わないということでキャスティングしています。
また、演技に関しては「そんなに言っていない」というのが本音ですね。抽象的なことや「こういう感覚で」みたいな曖昧なことは言わずに、動きだけを伝えることが多かったです。リーダー格のミズキを演じる小林香織さんについても「先生のことを気持ち悪いと思いながらじっと見ていて」くらいの指示で。それだけでもけっこう伝わるものがあるなと思っていますね。

——たくさん指示を言うよりも、そっちの方が良い演技を引き出せるんですね。

そうですね。言い過ぎると演じる人が混乱してしまうことがありますし、「ここは困惑した感じで」と言うと、困惑した感じを出そう出そうと思うがあまり、その意味に落ち着きすぎてしまうと言うか、本来の演技が持つ豊かさみたいなものが削られて、監督が指示した言葉だけを表現するようになってしまうんです。それも良くないので、短い指示をするようにしていますね。

——『先生を流産させる会』の撮影時のエピソードで、面白いものがありましたら教えてください。

主演のミヅキを演じた小林香織さんは当時小学校6年生で、演技に興味がないし、「遊びに来ている」みたいな感じでリハーサルにお父さんと一緒に見学に来ていたんですよね。でも、いざ演技を始めると学校生活とは違うことをするのがすごく楽しかったみたいで、大人たちも先生みたいにキッチリしているわけじゃなくてワイワイしている雰囲気でしたね。
また、香織さんはスタッフの似顔絵と、その人がよく言うセリフを紙コップに書いていたんですよ。僕だったら僕の顔が描いてあって「よーい、はい」ってセリフが添えてある、カメラマンだったらその人の顔と「はい、回りました」とか。そんな感じで録音スタッフには「マイクイン」と書いてあったのですけど、実際はマイクが画面に入っちゃうのはダメなんですよね。それを彼女が良い意味だと勘違いしていたのが面白かったです。
そんな中、香織さんのお父さんが「お前のためにみんな頑張っているんだよ」と言ったら、香織さんが「私のためじゃなくて映画のために頑張っているんだから!」とお父さんをピシャッと叱った時がめちゃくちゃ面白かったですね。

——彼女の気の強さは劇中でも表れていましたが、実際もそうだったとは! いえ、もちろん劇中のようなひどいことはされませんが!

他にも、見学していたお父さんが画面に映っちゃってNGになったことがあるんですよ。僕は「もう1回撮り直すので大丈夫ですよ」って言っていたんですけど、香織さんが「今お父さんのせいで台無しになったんだよ!」とけっこう厳しいことも言っていましたね。

——とても真面目に取り組まれていていたんですね。

ワチャワチャと楽しんでいるなと思っていたら、そういうところはちゃんとしてて、監督する側としても楽しかったですね。また、お父さんも作品を気に入ってくれて、香織さんが大学に進学したときには、サワコ先生役の宮田亜紀さんと香織さんとお父さんと一緒に4人で食事をしたりもしましたね。

——失礼ですが、タイトルや題材からすれば、お父さんが「こんな映画に娘は出せない!」と言ってもおかしくないですよね。お父さんはしっかり作品の本質を理解されたのだと思います。

でも、お父さんは最初はすごく心配されていましたね。一度お会いして、1つ1つこういう意図で作っていると説明して、「彼女が役者をやりたいつもりもなく演技経験がないのも知っていますが、被写体として魅力的で、この作品に必要な方なんです」とお願いしました。他の子どもたちの親御さんも、作品についていろいろと理解してくれて、嬉しかったです。

——他に作品に直接反映された、面白い撮影エピソードはありますか。

園でカメラが旋回するシーンに、背景に白いバンが映っています。実はその撮影用の白いバンは誤って田園に落ちちゃって、JAFを呼んだんですよ。だから一瞬、実際の映画にもJAFの人が映っちゃっています。

——それは見直したくなりますね。その田園で思い出したのですが、田園の風景と、暗闇を自転車で向かうシーンで岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』を思い出したんですけど、ひょっとして意識されていますでしょうか。

『リリイ・シュシュのすべて』は大好きな作品で、僕も田園で撮りたいという想いがあってロケハンをしましたね。だから、オマージュと言えばオマージュですね。

最新作『許された子どもたち』は一歩先に“進めた”作品

——最新作『許された子どもたち』は、内藤監督にとってどんな作品ですか。

『許された子どもたち』の企画は『先生を流産させる会』の公開前からあった企画でした。ただ、なかなか商業映画としては成立しなくて、川崎市中1男子生徒殺害事件が起きた時に、どうしても撮りたいなという想いがありました。それで『先生を流産させる会』から数えて8年ぶりに自主製作映画に戻った形になります。『許された子どもたち』は『先生を流産させる会』に続いてワークショップを開いて子どもたちと一緒に作っていきましたし、これまでの『ミスミソウ』や『ライチ☆光クラブ』ともつながるところもあります。自分にとって『許された子どもたち』は今までの発展、進化系みたいなところがあるのかなと思いますね。

——今までの内藤監督のエッセンスも、確かに詰め込まれていますね。

今回は男子生徒が罪を犯して逃げていくというお話なので、『先生を流産させる会』でミソジニーと批判された方が、観てどう思うか聞いて見たいですね。もちろん、だから男子生徒にしたというわけではないですが。
また、ミソジニーの批判で言えば、『ミスミソウ』における相場晄というキャラは、無自覚に女性に対する認知が歪んでいる、そういう意味ではミソジニーを抱えている人物だと思います。やはり批判されたことで考えが深まって、相場くんを描く時にけっこうそのことを意識したんですよね。だから、相場くんは『先生を流産させる会』ともつながっているキャラクターでもあると思います。作品を作ることで自分の抱えていた問題とかと向き合うことができました。『許された子どもたち』もそういう意味では、やはり一歩先に“進めた”作品だと思っています。

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