CINEMA DISCOVERIES

Special Features 真利子哲也監督インタビュー VOL.1

映画との出会い~『車のない生活』『アブコヤワ』の時代

インタビュー・テキスト:牛津厚信

その映像から受ける気迫と深みは計り知れない。本能の目覚めのようなヒリヒリとした痛みが迸ったかと思えば、次の瞬間には心が浄化されるほどの純たる感情が細やかに沁み渡っていく――――かくも唯一無二の表現性で我々の生きる時代を見つめ続ける存在、真利子哲也。
このたび、代表作とはまた違った輝きを放つ5作品の特集配信にあわせて、こちらのインタビューが実現。映画との出会いや学生時代のこと、商業映画デビューを経て最新作『宮本から君へ』で到達したものや、そこで生じた助成金の問題、さらに今アフターコロナの時代に何を思うのか。日常生活を取り戻しつつある6月中旬の渋谷で、真利子監督にたっぷりとお話を伺った。

映画との出会い

──本日はお時間作ってくださいましてありがとうございます。真利子さんは昨年の1月から1年間、新進芸術家派遣制度でアメリカへ留学なさっていたんですよね。まずはこのコロナの時期、本当によくご無事で帰ってこられた・・・というのが率直な思いです。

滞在していたボストンを発ったのが、ちょうど国家非常事態宣言が出された日(3月13日)でした。その前の週までシカゴでロケハンしてたんですけど、当時はアメリカでまだそれほど感染者が出ておらず、仲間内で送別会も開いてくれて、むしろ「日本が危ない」「日本に帰っちゃうと、しばらくは戻って来れないかも」なんて話していて。4月末にまたシカゴに戻って撮影入りする予定だったのに、その後、日を追うごとにアメリカのほうが目も当てられない状況になって・・・こんなことになるとは想像してませんでした。

──日本での巣ごもり生活はいかがでしたか?

この一年間、アメリカ滞在中も日本とのやり取りはリモートの暮らしを続けてきて、ようやく日本に帰ってきて活動できるぞという時に、東京にいても殆ど誰とも会えないまま、これまでと同じリモート状態が続くという・・・。まるでロスタイムのような状態で、ちょっと参りましたよね。

どこかで“つながる”なんて思いもしなかった

──今回は「真利子哲也特集」で配信される作品のことや、ご自身の映画人生についてじっくりと伺えればと思います。まずは映画との出会いについて教えていだけますか。

我が家の棚には、父が趣味で集めたアメリカ映画のビデオテープが大量に並んでいて、僕は幼少期にそれを見ながら育ったんです。あの頃はまだ言葉も違うのに外国映画という認識すらなく、映画のことを「自分の身の回りにはないことが描かれてるもの」というふうに捉えていたように思います。中学か高校の時にテリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』(95)を観た頃から、監督の名前も認識するようになってたんですね。大学生になって僕はイメージフォーラムにも通いはじめて、実験映画とかいわゆるアート映画を好きになって訳も分からず浴びてた頃に、ある日『ラ・ジュテ』(62)という作品と出会ってしまった。はじめは何の前情報なく見ていて、どうも既視感があったんですが、まさに主人公の記憶が蘇るシーンで「あ!『12モンキーズ』だ!」と気づいたんです。普通なら気づく順番が逆なんでしょうけど(笑)。

──ご存じない方に補足しておくと、『ラ・ジュテ』が元になって『12モンキーズ』が生まれたんですよね。

あれは自分の映画体験として強烈に残っていますね。これまで観てきたものが、まさかどこかで“つながる”なんて思いもしなかった。しかもそれを偶然に発見したり気づいたりするのって、大きいなって思ったんです。今考えると、幼少期に観ていた棚のビデオなんかも、全く知識や情報がない状態で手にとって、タイトルもクレジットも見ないで、受け止めていた。それが殊の外、記憶に残ってるのが、大人への後ろめたい気持ちとか憧れとか、面白い発見の連続だったものだから、それで僕は自ずと映画というものにハマっていったのかなと。あの感覚がね、なんとも説明しづらいんですけど、自分の趣味趣向とか情報からではなく、何も期待せずに、ただ何となく面白そうなものを求めて手を伸ばせる子供ならではの自由というか。

──そんな中、「作りたい」と思うようになったきっかけは?

当時、イメージフォーラムに通っていた先輩が8mmをやっていて、それを使ってお互いに映像を撮り合ってたんですね。それはただ単純に「撮って、現像して、見る」という行為が面白かったからで、当時はそれが「映画」かどうかなんて全く認識していませんでした。でもある日、イメージフォーラムの講師から「映画祭に出してみたら?」と勧められて。試しに学生とか講師が作った作品を見ていると、案外、自分が作っているものと遠からずで、もしかするとこれも映画って呼べるんじゃないか、とちょっとずつ思い始めてきた。

で、試しに映画祭に出してみたところ、うれしいことに賞をもらえたんです。人に見てもらうことを意識し始めたのはそのあたりですね。さらに映画祭に出すことで日本各地を旅できますし、ゆうばりとかもすごい良いところで、また行きたいなという気持ちが溢れてくる。それをモチベーションに、また撮って、出品して、という流れが僕の中で出来上がっていきました。

──大学時代になると『極東のマンション』と『マリコ三十騎』がゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞するなど、真利子さんの存在が一気に注目を集め始めます。

1年の頃は一人で映画を見続けて、2年生で映画サークルに入って、映画を撮り始めました。と言っても、相変わらずオーソドックスな撮り方を何も知らない自己流のまま、限られた予算と空間と映画制作には興味もない友人を駆使して、気の向くままにに撮るわけです。『極東のマンション』や『マリコ三十騎』はそうやって生まれた作品でした。

これからどうやって撮っていこうかという葛藤

──今回、配信される作品の中で最も時代を遡ったものが『車のない生活』(04)です。この語り口がまた、ビックリするくらい独創的で。この頃は人生におけるどのような時期だったのでしょうか。

自分たちの時代ってまだ就職氷河期が続いていて、周囲にも率先して就職したい人はあまりいなかったんです。いわゆるロス・ジェネの末期です。とはいえ、一緒に撮ってた仲間も何だかんだで働きに出たり、中には命を落としてしまった人もいて、一人、また一人といなくなる。『車のない生活』を撮った頃は、みんないなくなって、これから一体どうやって撮っていこうみたいな感じでした。前みたいに学生会館に集まる仲間もいなくなって、本当に“宙ぶらりん”な状態。その一方、「極東」や「マリコ」が海外の映画祭などで上映される際には、映画監督として記者会見や舞台挨拶などの華やかな場を経験しつつも、帰国するとまた地下警備員のバイト。だから、なんだろう・・・この後どうやって生きていきゃいいんだ、っていう葛藤があったと思いますね。

──そういった中で、この実に味わい深い10分の短編が生まれる、と。

当時は映像の仕事を依頼されることもなかったので、ビラか何かでコンペの募集要項を見かけて、まさに企画そのままの内容を映画にしています。家族とか住居とか、環境とか身近にあるもの全部を使って、かといってそれが全部事実という訳ではなく、フィクションの部分も含みながら、作り上げていったものです。

──この作品で印象的なのはご家族の姿です。ご家族だけは真利子さんの映画作りをサポートしてくれている。何か胸熱くなるものを感じました。

それだけギリギリだったんですよ(笑)。やっぱり親からは「働け」というのがあるじゃないですか。でもこちらはどうしても映画しか取り柄がない。それで、映画祭とかで賞を頂いていたので、それをだましだまし見せつつ、自分で訳もわかってないのに、また映画祭に声かけてもらったというアピールしながら、首の皮一枚でしのいでましたね。そうやって家族の“理解”を必死に繋いでいたという感じです。

──「車のない生活」では、おじいさまの存在の大きさも伺えます。

じいちゃんはじっとしてられないから畑を耕したり町内会でも慕われるような人で、それ以前に作った8mmのコマ撮りに映ってくれたりもして、小さい頃から大きな存在でしたね。本作でばあちゃんが「じいちゃんはこう言っていたよ」と語ってくれる部分は、意図的に狙ったものではないものの、言葉として残せて良かったなと。家族の関係性というか、作品の中の“奥行き”となった気がします。

この作品の題材にもなっているコンペティションは、賞金が100万円の新車購入資金です。一次審査通過して、最終審査の公開討論の場で映画やコマーシャルを手掛ける審査員たちから高く評価いただきましたが、結果は、主催の意図と異なるということで箸にも棒にもかからず落選となりました。まだ若い時分に本音と建前みたいな社会の仕組みを目の当たりにした気がして、作り手としてはいい経験でした。

見ることで体感できるもの、そのリアリティ・ラインを伝えたい

──続いて『アブコヤワ』・・・つくづく不思議なタイトルです。

タイトルをつける時に、ネットで検索して引っかからないものがいいなと思って探したんです。当時はヒット数「0件」って出て、よしこれだ!と(笑)。

──この作品も企画をそのまま映像化する内容になってますね。佐藤佐吉さんの存在感も強烈です。

佐藤さんは夕張でお会いしていて、それが縁で声かけてくださったんだろうと思います。この100万円というお金で何をするか。まずパッと頭に思いついたのが「宝くじを買う」というコンセプトで、ちょうど年末のタイミングだったので、とにかくすぐに動き出さなくてはいけない。佐藤さんにも企画意図を説明して、急いで来てもらって、お金を即金で受け取って。もうこれで後には引けない、と。そこから数日で、もうがむしゃらに撮っちゃいましたね。

──映像から伝わるダイナミックな臨場感は、この後の真利子さんの全作品に貫かれてるなと感じました。

映像を撮り始めた頃から、とにかく友達や親のリアクションが“目に見える形”で披露してたので、人が体感できるために、基準となるリアリティ・ラインをどこに置けばいいかをいつも試行錯誤していますね。『アブコヤワ』の頃もドキュメンタリーというよりはむしろフィクションとして自らカメラの前に立っていましたが、観る人の基準を役者さんが導いてくれているということだと考えれば、あの頃も今も、自分の中の作品の向き合い方は変わってないと思います。

 

真利子哲也監督作品

  • 『FUN FAIR』
  • 『アブコヤワ』
  • 『宿木』
  • 『あすなろ参上!』
  • 『車のない生活』