CINEMA DISCOVERIES

Special Features 対談企画 前編

内藤瑛亮監督のターニングポイント〜先生から映画監督へ

ライムスター宇多丸(以下、宇多丸) 『許された子どもたち』、すっげー面白かったです!お話をぜひ伺いたかったので嬉しいです。それにしても、ご無沙汰していますね。監督とお会いしたのって、『先生を流産させる会』が出来上がってすぐの時でしたっけ。

内藤瑛亮監督(以下、内藤) 2011年のカナザワ映画祭で『先生を流産させる会』を出品した時以来ですね。宇多丸さんが別のイベントのゲストとしていらっしゃっていて、飲み会で一緒になって、高橋ヨシキさんと宇多丸さんが『スター・ウォーズ』に関することで何か論議というか、甘噛みのような口げんかをしていたような……確か、“イウォーク”の話をしていた気がするんですけど。

宇多丸 恥ずかしい! お約束のやつですね。

内藤 僕はタマフル(ラジオ番組:ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル)をずっと聞いていたので、ナマで再現されているような感じがありましたね。あの頃の僕はまだ特別支援学校(旧・養護学校)の教員で、あくまで休日を利用して自主制作映画を作っていたという立場だったんです。『先生を流産させる会』の公開がターニングポイントになっていて、先生を続けるか、映画監督をやっていくかという選択をする時でした。正直、僕は教員としても充実感を得ていたので、辞めたくないという思いもあったんですけど、映画をもっと撮っていきたい思いもあって…。当時から『許された子どもたち』の企画は持っていて、映画会社やプロデューサーから声もかかっていました。だから、宇多丸さんとお会いしたのはかなり悩んでいた時でしたね。

宇多丸 もうザ・ターニングポイントだったんですね。「映画に行くぞ!」っていう決め手みたいなものはあったんですか。

内藤 決め手というよりはジワジワ来たっていう感じですかね。当時は2年生を担任していました。1年生から持ち上がったクラスで、「来年度にどうやら順調に3年生に上がれそうだ、この子たちをちゃんと卒業させられたら先生を辞められるぞ」と区切りがついた、実際に卒業させられたことはとても大きいですね。あとは、どうしても映画を撮りたいという、ある種の自己顕示欲も持っていました。

ライムスター宇多丸のターニングポイント〜初めての“ジャンプ”の時〜

内藤 宇多丸さんのターニングポイントはいつですか。

宇多丸 内藤さんと僕が違うのは、いわゆる就職というものをしたことがないんですよ。ラップそのものもズルズル始めちゃって、引っ込みがつかないままここまで来ちゃった、という感じなんですよ。
 あえてターニングポイントをあげるとすれば、「初めてラップを人前でやった」瞬間でしょうか。きっかけは本当にどうしようもないことで、大学1年生で入ったソウルミュージック研究会のパーティで、何か出し物をやれって言われまして。それまで、ヒップホップは好きでしたが、自分でラップをやるっていう発想はなかったんです。ただ、先輩から音楽ネタのコントでもやれと言われたのをはっきり拒否して、なぜか「ラップやります」と言い出した。先輩たちはゴリゴリのブラックミュージックファンなので、それこそ「日本人のラップなんて格好悪いだろ」という感じだったんですが、僕はなぜか「いや、俺できるんで!」って言い張ったんですよね。それが結果として、人生を決定する重大なジャンプになったわけですが。今から考えると、別に経験があったわけでもないのになぜあんなに自信があったのか、自分でも意味がわかんないんです。

内藤 Netflixドラマの『ゲットダウン』みたいですね。

宇多丸 そこから基本的にはずっとズルズルここまで来ているだけなんで、お恥ずかしい限りなんですけどね。

内藤瑛亮監督が“先生”だったからこそ、見える世界

宇多丸 内藤さんのこれまでのインタビューでもすでに語られていることではありますが、改めて。教師をしてきた経験はやはり、作品に反映されていますか? 特に『先生を流産させる会』と『許された子どもたち』は、明白に子どもたちや若者を描く作品であり、他の作品とは違う温度感、内藤さんの作家性が表れていると思うんです。そこに、元先生ならではのまなざしというのが反映されているのかどうか。

内藤 やはり先生の経験は大きいとは思いますね。働いてみて初めて「先生って学校ではこうなんだ」って実感したところもありました。生徒がみんなカーストを感じていること、「学校社会のカーストの中で自分はこのあたりの位置だ」と思うことは誰にでもあると思うんですけど、先生になってみると、先生の中でもそれがあることがわかったんです。それが大きな驚きでした。僕は運動ができなかったので、体育系の同級生って苦手だったんですけど、先生になっても体育科の先生はやっぱり苦手でしたね。

宇多丸 「運動できる人が幅を利かす」みたいなノリが、先生にもあるということですか?

内藤 運動できる人は単純に「学校生活が楽しかった」っていう体験を持っているんですよね。だから、体育や学校行事にポジティブな印象が強いんです。例えば体育祭の時に運動場に出たくない生徒がいたとき、僕はその気持ちがすごくよくわかったんですよ。「そりゃこんな暑い中、外に出たくないよね」って。でも体育科の先生は「何を言っているんだ。一生のいい思い出になるぞ」と。その先生は、素直にそう言っているんですよ。

宇多丸 なるほど、目から鱗です! たしかに、体育の先生になるような人は、体育の授業が楽しかったから体育の先生になるわけで、そうじゃない人の気持ちはわからないんですね。

内藤 僕が「体育が嫌いな子もいるんだ」と話していても、根っこのところでズレがありました。

宇多丸 もっと言えば、先生になる人は、既存の学校とか教育というものに何かしらの信頼というか、肯定的なものがあるからこそ先生になるんでしょうからね。だとすると、学校が嫌いだったり、先生に不信感を持っている生徒の気持ちは、なかなか分かりづらかったりするんじゃないでしょうか。

内藤 それはあります。僕は出来るだけ、学校が嫌いな生徒に寄り添おうという気持ちはありますが。

宇多丸 その意味では、学校が嫌いだった人こそ、もっと採用するべきなのかもしれない。どちらかと言うとケアが必要なのは、そっちの学校が嫌いな生徒のほうですもんね。放っておいても上手くやれる子は別にそれでいいわけで。

内藤 当然ですが、体育系の先生の中にも良い人もいます。体育科らしいノリ、前向きな力が生徒や学校を引っ張っていくっていうことも事実です。

宇多丸 ただ、善意でやっている人にとっての「思いもよらないこと」って、どんな事象にもありますよね。少数派の人間、日陰者じゃないとわからないことは絶対にありますもの。それこそ内藤さんの『許された子どもたち』と『先生を流産させる会』は、「見えてない人には全く見えていない世界」、「目の前であってもないことにすらできる」といった怖さというか、認識のズレを感じさせます。学校という1つの空間に、大人の階層があって、子どもの階層があって、子どもの中にも何重もの層があって……というような。そして、学校空間というのは確かにこういうものだった、という感触が、内藤さんの作品を観るとよみがえってきます。毎回すごく唸らされるし、良い意味で心底イヤな気持ちにさせられますね。

内藤瑛亮監督の人生に影響を与えた映画〜母親に勧められたのはまさかの…〜

宇多丸 内藤さんは先生をやりながら映画を撮られていたとのことですが、映画を作り始めたきっかけとなった作品はありますか。

内藤 全然作風は違うんですけど、山下敦弘監督の『天然コケッコー』を観て、「映画を撮りたいのかも」という気持ちがムクムクと湧いてきました。当時の僕はマンガを描いていて、マンガ家になりたかったんですけど、特に形にもなりませんでした。一緒に観ていたのが、加藤真くんという『牛乳王子』という短編で主演してくれていた子だったことも思い出深いですね。

宇多丸 そもそも、映画はお好きだったんですよね。

内藤 そうですね。両親が映画好きだったので、子どもの頃から映画自体はずっと観ていたのですが、監督になるという発想自体はまだなかったです。それは、「自分には遠い世界のことだろう」みたいな。

宇多丸 その点、言い方は悪いですけど『天然コケッコー』は「俺にもできそう」と思える部分がなくはない。

内藤 いやいや……でも、山下監督の撮り方はシンプルだけど魅力的で、こうゆうスタイルで撮ってみたいなぁって思いはありました。

宇多丸 なんてことはない学校の風景を描いていると言えばそうですもんね。ちなみに親御さんは、「映画監督になる」と聞いて、どういう反応だったんですか。

内藤 「何言ってんだ!」っていう感じでしたね。両親は共に映画好きではあったんですけど、「危うい道を進んで欲しくない」という思いはあったようで、父親は「就職していない奴は人間じゃない」という極端なことまで言っていましたね。で、まあ人間になるために就職はしたんですけど。  そして『先生を流産させる会』がけっこう評価されるようになったら、父親は「おっ、いいんじゃないか」みたいな反応をしていましたね。社会的な評価が上がると手のひら返しをするって、やっぱり父親って男性のダメなところが表れますよね。

宇多丸 いやいや、基本的にアートに理解があるご両親だからこそ、そして『先生を流産させる会』が素晴らしい作品だったからこそ、っていうのは絶対ありますよ。普通だったら、「『先生を流産させる会』っていう映画を作った」と息子に言われたら、ただただショックを受けちゃうかもしれない。

内藤 実際、ちょっと変わっていた両親でしたね。僕が映画を観始めたのがそもそも親の影響なんですけど、小学校高学年の時に映画に興味を持つようになって、「何を観たらいい?」って母親に聞いて勧められたのが、クローネンバーグの『ザ・ブルード/怒りのメタファー』だったんです。

宇多丸 クローネンバーグの中でもよりによって『ザ・ブルード』! いちばんエグい部類じゃないですか!

内藤 なんか、お母さんは大好きだったみたいで。

宇多丸 あれが好きなお母さんってさ、不安にならない?

内藤 観て不安になりました。だって奥さんが怪物を出産して、旦那さんに首を絞められて殺されるんですよ。

宇多丸 言ってみればクローネンバーグの女性恐怖が、一番露骨に出た作品ですもんね。しかしなんて太っ腹な、豊かなご家庭なんだ!

内藤 豊かなご家庭でしたね。アハハハ。

ライムスター宇多丸の人生に影響を与えた映画〜『スター・ウォーズ』はあくまでトリガーの1つ〜

内藤 宇多丸さんに影響を与えた映画は何ですか。

宇多丸 あちこちで言っていますけど、御多分に洩れず『スター・ウォーズ』なんですよ。ただ、内藤さんと同じく、親がそこそこの映画好き、映画をよく観る世代だったということもありますね。すごく覚えているのは、東映まんがまつりの『長靴をはいた猫 80日間世界一周』を劇場で観たときに、初めて「もう一度見たい」と言い出して翌週またリピートさせてもらったこと。もう1回あの世界に戻りたい!と思った初めての映画で、思い出深いですね。
 あとは父親が『七人の侍』のリバイバルの時に連れて行ってくれて、子ども心にめっちゃ面白い!と思ったこととか。だから、白黒映画にも最初から抵抗なかったですね。あと当時は、NHKでチャップリン、キートン、ハロルド・ロイドといったサイレント映画をいっぱいやっていて、それを普通に観る習慣もありましたからね。
 一方で、母親は岩波ホールに通っているようなタイプだったので、そこにもよくついて行ってました。たとえば、『大理石の男』なんてタイトルだから、大理石マンみたいな超強いヒーローが活躍するのかな?って思ってたら、おじさんたちが延々議論しているだけでがっかり、みたいな感じでしたけど。あとは有楽町のよみうりホールで、ホロコーストのドキュメンタリーとか、ヘビーな作品もよく見ましたね。死体が山のように積まれている映像とか、普通子どもにはちょっと刺激が強い気もしますけど、まあ早めに見れといて良かったなと。

内藤 宇多丸さんも豊かなご家庭ですね。

宇多丸 内藤さんと同じく、親がそもそも映画好きだったというのは間違いなく大きいですね。『スター・ウォーズ』にハマったのも1つのトリガーに過ぎなくて、映画を観る習慣はずっとあったわけですから。
そうそう、こないだコロナ渦後久しぶりに両親のところに顔を出したんですが、子どものころに使っていた、母親との連絡ノートみたいなものを見せられて。それが、僕の中ではせいぜい小学生までという記憶だったんですけど、実際には高校生いっぱいくらいまで書いていたことがわかったんです。「今日は三百人劇場にルイス・ブニュエルのこれを観に行く」とか、「今日はシアターアップルにこれ観に行くから金をくれ」みたいな。高校生になっても、母親に何をするかどこに行くか、いくらかかったのかをちゃんと報告していた、思ってたよりいい子だったことが判明しましたね。

内藤 子どもの頃から、幅広く映画を観られていたんですね。

宇多丸 僕の場合は、10代前半くらいに、蓮實重彦さんが一気に本を出されたタイミングだった、というのも大きいかもしれない。そのころ本屋に行くと、蓮實さんの本が平積み、ヒッチコックの『映画術』が平積み、劇場ではちょうど『裏窓』とかがリバイバル公開していたりして、絶好の勉強タイミング、という感じではあったかもしれない。もちろん蓮實さんがおっしゃっていることの半分も理解できていなかったですけど、とにかく「なんて面白いことを言う人なんだ!」と。「世間では名作とされているこの映画を、こんな風にバカにしちゃうんだ?」というところもすごく新鮮でした。

内藤 黒澤明監督とかも、蓮實さんはけっこう批判していましたね。

宇多丸 その独特の話法自体がひとつの芸で、そこにヤラれてしまったところは大きいですね。そこから、またさらにいろんな映画や作品の見方を知っていった感じです。

好きなことと、作りたいものの“ズレ”を認識する大切さ

内藤 自分の世代の自主映画を作っていた人って、先ほど挙げた『天然コケッコー』の山下監督のフォロワー、正直に言うと劣化版みたいなのがけっこう多かったですね。僕は、このまま『天然コケッコー』をマネするとサムいなって感じて、「自分はやらないぞ」とも思っていましたね。

宇多丸 まったり日常系みたいなのは簡単そうに見えて、安易に模倣してもただの退屈な映画になるだけ、みたいなのはよくわかります。僕らの世代でいうと、ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』がまさしくそれで。高2の学園祭用に仲間たちと映画を作ったときも、僕自身はストーリーを語るという欲求が全くなかったのでミュージックビデオ的なショートフィルムを撮ったんですが、友達の作品はまさにジム・ジャームッシュ風、オフビートな会話と、長い長いフェードアウト……普通につまんねぇよ!みたいな感じでしたね。

内藤 あらゆる文化で、「俺もできそうかも」って思えるようなスタイルって、一時的にみんなの注目を集めますよね。ただ、マネをすると絶対にできないっていう。

宇多丸 ヌーヴェルバーグとかもきっとそうだったんでしょうね。ゴダールが「男と女と車があれば映画は撮れる」って言ってたから……みたいな。

内藤 「できない」ということを実感するというのはある意味で大切ですよね。

宇多丸 先ほども言いましたが、僕は高校のころ映像作品を作ったときも、ストーリーを語るという欲求がなくて、ミュージックビデオ的なものを目指していたんですね。それですら、映像制作の大変さを前に、自分には向いていないって、すぐに投げ出してしまったんですが。
 この間もスチャダラパーとの対談で話していたんですけど、「不思議なもんだよね、僕らは映画も好きだし、ドラマも好きで、物語を味わうのも、考えるのも好き。なのに、自分でそれを作りたいという欲求はない。つまり、好きなものと作りたいものって、興味の働きとしてそもそも違うものなんだよね」って。まあ当たり前といえば当たり前のことなんですけど、世の中には、好きなことと作りたいもの、欲求の対象はズレていて当然なのに、そこを一致させなきゃと思って難しくなっちゃっている人って、意外と多いかもな、とも思うんです。僕は、そこを自分で認めるのが早くて良かったような気もします。映画で役者の演技を見るのは好きだけど、監督としてそれをじっくり何テイクも撮って演者の良いところを引き出す、みたいなことはぜんぜんできる気がしない。
 そんな感じで、僕自身はストーリーを語るという方向への興味は希薄だったわけですが、内藤さんはマンガ家を志していたということですから、お話を作りたいという欲求は、最初から強かったのでしょうか。

内藤 物語を作りたいという思いはありましたけど、マンガを描いている時は物語を形にできなかった、だからこそうまくいかなかったんですよ。ただ、映画を撮ろうと思い始めた頃から、不思議と物語が作れるようになってきました。それは、僕がマンガ家を諦めて、親に「就職しろ」と言われて就職する頃と重なっていましたね。映画美学校に入って、教員採用試験に受かって、映画も学びつつ、働きつつ自主映画を作っている時に、物語を作る意思が自分の中でどんどん湧いてくるようになりましたね。

『ファイト・クラブ』からわかる、内藤監督の作家性

宇多丸 内藤さんが映画監督として最も影響を受けた1本、みたいなものを挙げるとしたらなんですか?

内藤 『ファイト・クラブ』ですかね。高校生の時に観て、一番震えましたね。自分が社会の中で鬱屈しているものと、それを破壊したいという欲望が映画内で発散されていて、映画が持っている危ない感じ、毒々しさというものに、誤った形で暴走していく人たちというところに、すごく惹かれました。『踊る大走査線』とかの刑事などの体制側のまともな人が活躍するよりは、「いやダメでしょお前」っていうのを観たいと気づきました。

宇多丸 内藤さんの作品って、『先生を流産させる会』や『許された子どもたち』はまさにそうですけど、登場人物たちが特に悪いことをする場面、それこそ暴力をふるうような局面になると、音楽といい編集といい、映画全体が俄然ノリノリになりだす、という特徴があると思うんです。決してその行為自体を賛美したり肯定したりしているわけではない、むしろ突き放した視点に徹しているくらいなのに、温度としては明らかに高揚感がある。だから、映画監督として最も影響を受けた映画が『ファイト・クラブ』だと聞いて、「なるほど!」と膝を打ちました。

内藤 正直、『ファイト・クラブ』って楽しそうに見えますよね。10代の頃に鬱屈して、どうにか爆発したいっていう思いが、ああいうフィクションという形で発散されているっていうことに感動があったんですよね。

宇多丸 『ファイト・クラブ』って、劇中主人公たちがやっていることは決して褒められたものではない、完全に間違っている、というモラリスティクな視点をしっかりキープしながら、同時に感情移入もさせるという、実はなかなか難しいことをやっていますよね。この二律背反的な構造は、内藤さんの作品にいつもあるものでもありますよね。

内藤 デヴィッド・フィンチャー監督の冷めた目線みたいなのが好きでなんですよね。犯罪映画というくくりでも、湿っぽすぎたり、寄り添いすぎるのはちょっと苦手だったりしますから。

宇多丸 要は観客の感情を、登場人物と完全には一致させない。内藤さんの映画も常にそうですよね。あるキャラクターに感情移入しかけると、それを拒絶するような言動が必ず用意されている。あるいは、登場人物がわかりやすく悲しがっているようなときには、そのエモーションにそのまま同期してしまうのではなく、そこからあえて一歩引いてみせる。そうした印象が、内藤さんの映画を観ている時の独特の感覚につながっているのだと思います。

内藤 ありがとうございます。そのバランスは自分も常に考えて作っていますね。かといって、あまりにわかりやすく寄り添っちゃうのもイヤだなと、ブレーキをかける印象はありますね。

宇多丸 誰にも寄り添っていないし、全員突き放しているけど、同時に全員に寄り添う瞬間もあるんですよね。「え? そこ?」な、思わぬポイントで寄り添う感じが、またすごく独特。観客としてはまったく油断できません。

青春時代を象徴する、反体制的な作品たち

宇多丸 僕自身に関して言えば、アメリカンニューシネマとか、カウンターカルチャーの最後の残り香が残っている時代に映画を見始めたということも、感覚として大きい気がします。『スター・ウォーズ』一作目や初期スピルバーグ作品、スタローン主演映画にもその匂いははっきりありますし、そのころテレビで放映されていた映画はもっとずばりニューシネマ期以前のものが中心でしたから。ドラマも、僕が好きだったのは、石原プロの刑事ものより、はっきり『探偵物語』や『俺たちは天使だ!』のようなドロップアウト組のほうだったし。「そういう生き方の方がかっけえじゃん!」って、憧れを感じていましたね。
 そんな“主流的でないこと”が割と普通にイケて見えた世代だったからこそ、就職も最初からする気がなかったのかもしれないですね。もちろんそれは、世の中的に好景気で「それでも大丈夫だろ」と思えたっていう、要は思いっきり社会の恩恵を受けていたからこその楽観性、というのも当然あったとは思うんですが。

内藤 僕の時代だと、反体制みたいなのが遠い彼方にあるっていう感じなんですよね。僕の下の世代、『許された子どもたち』に出てくる子どもたちに聞くと、どうやら不良がモテないみたいで。不良自体も少ないみたいなんですよね。
それだけでなく「反対意見を言うこと」自体に、すごく拒否感を持っているんですよ。野党はすごく悪い人だと思っているとか、人を否定するのは良くないと過敏になりすぎているような。反体制が必ずしもカッコいいとは思わないけど、若い人が体制側に従順過ぎるって危機感も感じていますね。

宇多丸 だからこそやっぱり、『ファイト・クラブ』なんですよね。現行社会に順応しきった世代に、「お前らの人生それでいいのか!」「資本主義に飼いならされたブタめ!」って、面と向かって、観客席に指をさして言ってくる映画ですから。

内藤 直接的にアジテーションしますからね。

宇多丸 終わり方もすごいよね。「とか言って、こんな作りものを観て喜んでいるような……お前ら!」と、もう1回こっちに中指を立ててくる。内藤さんと僕は年こそ違いますが、『ファイト・クラブ』には同じく最大級の衝撃を受けて、どうしても我慢できず翌日にもう一度観に行きました。

商業映画にあるせめぎ合い

宇多丸 内藤さんの場合、商業的な作品にもご自分の作家的な色をしっかり盛り込んでらっしゃいますよね。要は、社会とちゃんと折り合いをつけながら、挑戦的な作品を作り続けている。そのようにキャリアを更新してゆくために、何か意識などはされていますでしょうか。

内藤 作品を作っていく中で、「上手くいかないなあ」と思うことのほうが多いですね。やはり商業映画の難しさというものはコロナ渦の中でも感じていて、Rhymesterの『余計なお世話だバカヤロウ』に、「ボクはいいんだけどウエがどうすかねー」って歌詞があるじゃないですか。そういうことは、僕も映画作りの現場で良く感じています。  「いや、お前はどうしたいんだ」みたいな。「ウエの意向的に、あれできません、これできません」とか、「責任を負いたくないから、あの人がそう言っています」ということもよくあります。
だからこそ、『許された子どもたち』を自主制作という形で撮ったんですけど、正直言って、本当は商業映画として撮りたかったんですよね。でも、自分が面白いと思わないと、面白いものは撮れないなとも肌で感じていて、けっこう良い条件の話が来ても断ることもあります。でも、フリーでやっていると「これで断って、次を撮れるのかな」という不安も常にあるんですよね。だから、他の監督が「ああ、あの企画撮ったんだ」とか思って残念に思ったり、「あれ撮れてすげえな」って思ったりという嫉妬も、けっこうありますよ。

宇多丸 でも、その慎重さゆえに、商業的なキャリアと、作家性を上手く両立させているところもあるんじゃないですか。本当に日本だと、稀有な映画監督だと思うんです。『ミスミソウ』は特にバランスが見事というか、誰が観ても面白いと同時に、明らかに内藤さんの作品でもありますから。

内藤 『ミスミソウ』は偶然に企画が来たんですよね。撮影だけ決まっていたんですが、急に「内藤さん撮ってください!」と。

宇多丸 今となっては内藤さん以外が撮った『ミスミソウ』なんて想像したくもないくらいですよ。しかも、今なら配信サービスで観られるので、色んな層に届きやすい。特に、海外の人には絶対にウケると思うんですけど。

内藤 「海外の人が好きな日本映画」なところがあるかもしれないですね。実はその『ミスミソウ』、この間Netflixの映画部門で日別の1位を取っていたりもするんですよ。

宇多丸 おおー! でもホント、『ミスミソウ』はそういうタイプの作品ですよね。そうやってじわじわ人気が広がるのが一番いい、いずれはカルト映画化してゆくべき作品だと思うんです。奇しくもというべきか、『蜘蛛の巣を払う女』は、色使いなどが『ミスミソウ』にそっくりでしたよ。雪化粧の中に赤い服などがちょっと被ってて。ひょっとしたら『ミスミソウ』を観たんじゃないかな?って思うくらいでしたね。

構成・文:ヒナタカ

 

ライムスター宇多丸
1969年東京都生まれ。ラッパー、ラジオパーソナリティ。 1989年、大学在学中にヒップホップグループ「ライムスター」を結成。日本ヒップホップの黎明期よりシーンを牽引し第一線での活動を続ける。 また、ラジオ・パーソナリティとしても注目され、2009(平成21)年にはギャラクシー賞「DJパーソナリティ賞」を受賞。趣向を凝らした特集や、愛ゆえ本音で語りつくす映画批評コーナーが大きな話題を集め、多くのスピンオフ書籍が発売されるなどの人気を博す。 現在、ラジオ、テレビ、雑誌、ウェブなど各種メディアで活躍中。

内藤瑛亮
1982年生まれ、愛知県出身。 映画美学校フィクションコース11期修了。特別支援学校(旧養護学校)に教員として勤務しながら、自主映画を制作する。短篇『牛乳王子』が学生残酷映画祭・スラムダンス映画祭はじめ国内外の映画祭に招待される。初長編『先生を流産させる会』がカナザワ映画祭で話題となり、2012年に全国劇場公開され、論争を巻き起こす。教員を退職後は、夏帆主演『パズル』や野村周平主演『ライチ☆光クラブ』、山田杏奈主演『ミスミソウ』など罪を犯した少年少女をテーマにした作品を多く手掛ける。2020年、約8年振りとなる自主映画『許された子どもたち』が6月1日(月)よりユーロスペース他にてロードショー。

ライムスター宇多丸さんのお気に入り作品

  • 内藤瑛亮 監督
    『先生を流産させる会』
  • 安川有果 監督
    『Dressing Up』
  • 原一男 監督
    『ゆきゆきて、神軍』
  • 山下敦弘 監督
    『もらとりあむタマ子』
  • 崔洋一 監督
    『月はどっちに出ている』
  • 高橋洋 監督
    『霊的ボリシェヴィキ』